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こんにちは! かわべまゆみです。1999年に東京から島根県に夫のUターンにお付きIターンして参りました。
そこで待っていたのは、笑いが止まらないほどハッピーでエキサイティングな田舎暮らしの日々でした。

かわべまゆみ過去日記

父の思い出…。

23日の早朝、父が静かに息を引きとった。慢性腎不全で尿が出ずらくなり、体中が水分でふくらみ別人の様になっていた父。本来なら苦しみながら亡くなるところを、静かに、静かに、安らかに、安らかに死んでいった。きっと私たちが駆けつけるのを待っていてくれ、そして安心したのだろう。
23日、お通夜。24日、お葬式。25日に挨拶回りや今後のことなど家族で話し合い、昨日26日に大分を出て桜江に戻ってきた。

「勉強しなさい」とは一切言わなかった父だが、小学校の入学前後に本を三冊買ってくれた。一冊目は、なぜか「イエス・キリスト」だった。クリスマス・イブが、偶然にもお葬式になったので、奇遇だなと思い出した。
その後、「路傍の石」、「ビルマの竪琴」と続くが、どれも男が主人公で、なんだかせつない話ばかりだった。普通、小さな女の子に買い与えるのなら「シンデレラ」とか「若草物語り」じゃないのだろうか…。と、大人になってそう思った。
でも、小さいながらも、どの本も涙が止まらなかった。ひどい目にあうイエス様が、かわいそうでたまらなかった。でも、誰もうらむこともなくみんなをかばい愛したことが、すごいなぁと思った。「ビルマの竪琴」では、水島と兵たちの別れのシーンがつらくてつらくてたまらなかった。私なら、どうするだろうと思った。私が水島なら水島の様にビルマに残るだろうし、私が「水島、一緒に帰ろう」ととどまる事を引き止める兵士たちだったら、やはり「水島、一緒に帰ろう」と懇願するだろう。。。今思い出すだけでも胸が熱くなる、哀しい哀しいシーンだ。「路傍の石」では、優秀なのに貧しいために中学にも行けない吾一が気の毒でしようが無かった。この時に出てくる「艱難(かんなん)汝を玉にす」という言葉は、今でも私の座右の銘のひとつになっている。
今、思うと小学校に入学前後に何度も繰り返し読んだこの三冊の本、そして三人の男の生き様は、私自信の生き方や人生観に大きな影響を与えてくれた様に思う。そして、勉強はしないけれど、読書はするという習慣が自然と身についたように思う。
父母や肉親に縁の薄い私だけれど、この三冊の本を小さな私に買い与えてくれたことだけでも、父に感謝している。

お父さん、どうもありがとうございます。
病気、苦しかったね。もう迷うことなく安らかにお休みください。

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皆様へ
急なことであり、実家と職場と最低限のご報告しかしておりませんでしたが、多くの皆様から、温かいお言葉や、ご香典、生花の数々を頂戴いたしました。本当に申し訳ありません。
父も「できの悪い娘なのに、こんなに皆さんにかわいがってもらってるんだなぁ、ありがたいなぁ」と、喜んでくれたことと思います。お心使い本当に感謝いたします。どうもありがとうございました。
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日時: 2005年12月27日 18:56