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こんにちは! かわべまゆみです。1999年に東京から島根県に夫のUターンにお付きIターンして参りました。
そこで待っていたのは、笑いが止まらないほどハッピーでエキサイティングな田舎暮らしの日々でした。

かわべまゆみ過去日記

葬儀の3日間…

23日の朝、親戚の方が亡くなった。近所なので、何度かお会いしたこともあり、父がひとりになってからは夕飯のおかずをたびたび持ってきてくださっていた女性の方。23年間も人工透析を続け、まだ60代だというのに亡くなられた。残されたご家族のご心情を思うと、本当につらいことである。河部の家とどんな親戚関係なのかは、何度聞いても複雑で理解できないのだが、親密にお付き合いをさせていただいているお宅である。
午後から夫とお悔やみに駆けつけ、夜はお坊さんが来られて親戚だけの仮通夜へ。翌日は10時からまたお坊さんが来られ、お経を一緒にあげてそれから火葬場へ。実はこの日は、私がアドバイザーをしている「江津市女性の地域塾」の日で、今回は市への提言書をまとめるために、皆さんが作成したものについて、私がアドバイスをしなければならない大切な会合があった。申し訳ないが、はじめは塾の方に参加できないとお伝えしていたのだが、火葬場で、1時間半の待ち時間があり、男性はビールを、女性はお茶とお菓子などをいただくというので、その時間を抜けさせていただき、地域塾の途中からでもと、桜江支所に向かった。メンバーの皆さんも積極的で、提言案もよい方向に向かっている。きっと江津市の地域活性化に向けて、有意義な提言ができるのではないかと思う。
夜は、お寺でのお通夜。親戚の人には、「おとき」という食事が出るのだが、それはご遠慮して、さくらえサロンで喪服のままデスクワーク。お通夜の一時間前にお寺(西教寺)に向かい、列席される方々をお待ちし、お通夜がはじまった。亡くなった方と、私はあまりお話をしたことはないけれど、お料理がお上手で特に、Iターンした頃に「真っ白い酢ゴボウ」を何度かいただき、その美味しさに感激したことを思い出す。お嬢さんを介してレシピまで教えて頂いた事もあった。23年にも及ぶ、人工透析のご苦労や、それを支え続けた温かい家族愛、そして今、この時のご家族の皆さんのご心情を思うと、涙がこぼれて仕方がなかった。。。
夜は、父と夫がお宅に伺うというので、お通夜に参列した夫の弟と一緒に我が家で夕飯を食べた。(夫はおもしろい人だが、夫の弟は、夫以上に笑いのセンスのある男で、私とも気があっている。ただし、弟なのに、見た目は「兄」の様である。)
翌日は「島根県民いきいき活動促進委員会」に出席のため松江に行く予定だったが、お葬式当日なので欠席した。
午前中、西教寺でのお葬式が厳粛に執り行われた。その後、親戚の方には「おとき」という食事が供されるのであるが、こちらもご遠慮した。
家に戻って、着替えてから、さくらえサロンへ。お昼過ぎに、いまゐネットの今井社長が来られ業務報告等。その後、「自警ネットワーク」の契約のことで、島根県警察本部の丸本さんがお見えになり、事業契約書に押印。これで、本格的に「自警ネットワーク事業」に取り組むこととなる。

ところで、私の数日間の過ごし方について、厳粛な葬儀の期間でありながら、時間を見つけて仕事をしているなど、ひんしゅくを買う行為であるかもしれない。でも、私としてはできるだけ、周りの皆さんに迷惑をかけない選択をしたつもりである。

ただ、思うのは、今回は私が亡くなられた方の親戚であるということで、ご近所であるに関わらず「てご」という葬儀全般のお手伝いを免除されたことも事実なのである。
もし親戚で無ければ、私と夫は、2日間仕事を休んで「てご」をしなければならなかった。そうすれば、地域塾にもまったく参加できず、再度皆さんにお集まり頂かなければならなかったかもしれないし、今井社長や丸本さんとも会うことができず、「自警ネットワーク」の立ち上げも遅くなっていたかもしれない。
県の委員会は、委員の方がたくさんおられるので、私一人が欠席でも大きなご迷惑をおかけしないと思うが、これが私の話を聞かれるために、何百人もいらっしゃる「講演会」だったらどうだろう。
今回の様に、「身内の不幸」であれば、お許しいただけると思うが、ご近所の「てご」であるのならば、申し訳ないが、私はお金をお支払いしてでも、「講演会」に集まられる方のところに伺いたい。ご来場された方々や主催者の方々へご迷惑をおかけするのは、耐えられない。。。
事実、どうしても「てご」ができない場合は、お金を支払えば許される自治会もあるという。多くの人は「昔からのことだから仕方がない…」と、おっしゃる。もちろん昔は、必要だったシステムだと思う。でも実際には、「行ってもやることは無いが、行かんといかんから行く」という声も聞く。(特に男性)
昔は、多くのことが集落で自己完結できたかもしれない。「困った時はお互い様」というのは、よくわかるが、いくら田舎とはいえ、かなり便利になったこの現在、昔ほど本当に困っているのだろうか。たとえば、「10人のお手伝いがあれば十分なのに50人で、お手伝いし、それによって、余分な40人分の食事を用意するという手間がまた増える」という様なこともあるのではないだろうか。
昔は、日本中にこんなシステムがあったと思う。それが、少しずつ変わってきている。「農村の古き良き美しき風習」なのかもしれない。でも、この「古き良き美しき風習」が重荷となっている人が少なくないのも事実である。特に、女性の負担は大きいと思う。この負担があるからと、街中に住むことを希望するお嫁さんもいるかもしれない。そうすれば、過疎は一層進む。大切に残し守り伝えていかなければならないものと、時代の変化に合わせて変えていった方が、地域で暮らす人々にとってより良い結果となるものもあると思う。

亡くなられた方のご冥福を心からお祈りしながらも、時間を見つけては仕事をし、さらに、この様なことを考えつつ過ごした3日間。私は、ろくでもない人間だろうか。。。
(あえて、ご批判を覚悟しつつ、更新します)

日時: 2005年11月25日 19:10