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こんにちは! かわべまゆみです。1999年に東京から島根県に夫のUターンにお付きIターンして参りました。
そこで待っていたのは、笑いが止まらないほどハッピーでエキサイティングな田舎暮らしの日々でした。

かわべまゆみ過去日記

江津~東京~諏訪~桜江~松江


30日、午前中、いわみマガジンの田舎暮らしツアーの写真を選ぶ。何気で選んでいる様だが、この時に全体の構成を考えたりと意外に集中する作業なのである。午後から、「江津市女性の地域づくり塾」にオブザーバーとして参加のため、江津市役所へ。
市長への提言案などを話し合う。いい形で、実現できればと思う。帰ってから、遅くまでいわみマガジンの原稿書き。あー集中した。
31日、早朝から若旦那(夫)と広島へ。お昼には新幹線で東京着。このところ、できる限り飛行機に乗らないようにしている。子供みたいだけれど、私は「地震・飛行機・歯医者」が三大怖いのである。共通点は、「いつ何が起きるかわからず、ヒヤヒヤドキドキ」だからである。それに、新幹線だと、ゆっくり本を読めるのがいい。今回は、「官のシステム」。行政などに対する基本知識がないので、こういう本は「チャッチャッ、チャ~」とは読めない。あまり賢くない頭で、じっくり噛んでふくめる様に熟読するので、時間がかかるのだ。
しかし、勉強なるわ~。いい本やな~。さすがやな~。大森先生!!!
午後から、「滞在型グリーンツーリズム振興等調査委員会」に出席のため、まちむら交流機構へ。事務局の畠山さんはじめ、座長の東洋大学の青木先生、ふるさと情報館の佐藤さん、観光カリスマの皆さんたちと、もう何度もお会いした事があり、愉快な人たちばかりで、楽しみな委員会のひとつである。。
といっても、あたり前だが委員会の間は、まじめにちゃんと実りある話し合い。夜は、東京駅近くの居酒屋で交流会。
一方、若旦那は石見問屋のリサーチのため「にほんばし島根館」と「いわみふうさとネット六本木サロン」へ。夕方からは交流会に合流した。泊まりは、いつもの渋谷メッツ。
2月1日、いよいよ如月。1月行く、2月逃げる、3月去る、というから、1月以上にこの月は大切に過ごさなければアッと言う間である。
ということで、この日は前々から心に決めていた「諏訪大社」参拝である。親友の晶子ちゃんと夫と3人で、晶子ちゃんの車で中央高速を飛ばして、諏訪に向かう。東京にいた頃は、こうやって3人で諏訪に毎月通ったものだ。今でも年に2回は、参拝している。
現在、放送中の大河ドラマ「風林火山」の舞台でもある甲斐の国から、諏訪へ。富士山も八ヶ岳も雪をまとって美しい姿を見せてくれた。土地勘があるし、武田信玄も好きなので、この大河ドラマは、とっても身近に感じられるのである。
さて、上社での昇殿参拝、そして下社へ。下社は、春宮と秋宮があり、季節によって1年に2回女神様(ヤサカトメノオオカミ)がご遷座されるのだが、ラッキーな事に、この日は、ちょうど秋宮から春宮へヤサカトメノオオカミ様がお帰りになられる日。良い日に参拝ができたと大喜び。(日ごろの行いが良いのかも♪)
私にとって、諏訪上社のタケミナカタノオオカミ様は、優しい太っ腹のお父さん。ヤサカトメノオオカミ様は、ちょっと厳しいお母さんみたいな感じがしている。おみくじもズバリその通り。「自由にどんどんやんなさい」という男神様に、「新たな事は慎重に!」という女神様なのであった。
そこで、まったく新たな企画を考えていたが、今やっている事がおろそかになっては、本末転倒だな~と思い、空き家の活性化や定住促進、そして石見問屋などの今取り組んでいることは、「更に自由にどんどんやり」、新たに始めたいと思っている事については、「やっぱ時期尚早やな、まずはきちんと1年くらい本腰入れて勉強しよう」と思ったのであった。
ちなみに、出雲の神様はタケミナカタノオオカミ様のお父様なので、失礼ながらも、私のイメージではお祖父ちゃんという事に…。ま、それぐらい神様の存在は、とっても身近な感じなのである。
そしてお楽しみの直来だが、いつも諏訪湖近辺の信州蕎麦か、諏訪湖のウナギを頂くのだが、時間がないこともあり諏訪湖SAで食事。しかし、これまたラッキーな事に、信州の蕎麦&馬肉&フルーツと諏訪湖のウナギ&エビがまとめて食べられるセットがあり地元グルメを堪能したのであった。(写真:信州蕎麦・ミニうな丼・ミニえび丼・ミニ馬刺丼・ラフランスとリンゴのコンポート等)
その後、渋谷~品川~広島~桜江へと戻ったのだが、途中で大雪となり、家に到着したのは、もう翌日、午前1時を回っていたのである。が、それから諏訪の銘酒「真澄」で晩酌。
しかし、翌2日は朝早く起きて「少子高齢社会を支える新たなシステムづくり委員会」に出席のため松江へ。これからの島根のことを考えると、言いたい事は一万個くらいあるけれど、私ごときが、えらそうに言う立場でないと思い控えて、思っている事の1%くらいしか発言しない。(それでも、ご出席の皆さんは『シャベリすぎ、イカレすぎ、えらそう』と、お思いの事だろう。)この報告書の内容は、月末には澄田知事に提言するとのこと。心から50年、100年先の島根が豊かでみんなが幸せであって欲しいと願う。
夕方、桜江に戻り久々のデスクワーク。夜は鴨鍋にし、久々にゆっくりと晩酌を楽しむ。これからの時代の行く末を考えると、話はつきない河部家であった。。。

日時: 2007年02月02日 14:55