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こんにちは! かわべまゆみです。1999年に東京から島根県に夫のUターンにお付きIターンして参りました。
そこで待っていたのは、笑いが止まらないほどハッピーでエキサイティングな田舎暮らしの日々でした。

エッセイetc

◎講演録・やまなみ大学にて-1 

「田舎は魅力の玉手箱・宝の山発掘体験記!」
~都市と田舎の交流を目指して~


田舎で見つけたスゴイ宝物たち


この雪の中をわざわざ島根県まで、おいでくださいましてありがとうございました。
 本日の演題ですが「田舎は魅力の玉手箱・宝の山発掘体験記!」などと、とてもおおげさなように思われたことと思います。私は、先ほどご紹介いただきましたように、3年と8カ月程前に、島根県邑智郡の桜江町というところにIターンして参りました。それまで東京の方に長くおりましたんですが、そこで知り合った夫が、たまたま島根県邑智郡の人でその縁でこちらに参りました。私自身は生まれが横浜で、あと子供のころは大分県の大分市でずっと育ちまして大学を出たあとは、ずっと東京で暮らしておりまして、ある意味、地方都市と大都市しか知らないようなところがございました。
 夫はちょっと面白い人で、いつも私に「田舎自慢」をするんですね。「うちの町でね、一番高いビルは3階建てなんだよ」とか「うちの町にはちゃんと動いている信号は1個しかないんだよ」とかですね、そういうことを言うわけです。私には、はじめその感覚が良く分からなくて、信号なんて表に出ればあっちにもこっちにもそっちにもあるというのが当たり前だと思っていたので、一つの地方自治体の中にまともな信号が1個しかないなんて、本当なのかなとか?なんて思っておりました。結婚して、たまにこちらの方に帰って来ると、ああ、夫の言うとおりだな、なんて思ってはいたんですが・・、そうこうするうちに、段々とそんな場所で暮らしてみると、どんな生活になるのかなあ、なんて好奇心が湧いてきました。でも好奇心は湧いても、そこで暮らすつもりはまったくなかったんですね。
 最近は、「定住志向」というか「田舎暮らしをしたい」という方がたくさんおられます。そういう方は「有機農業に関心がある」とか「動物が好き、自然が好き、アウトドアライフが好き」という方が多いと思います。でも私は、残念ながら、そういうものにはあまり興味がなくて、どちらかというと都会の真ん中で便利にコンビニエンスでも使って暮らす方が向いていると思っておりました。ところがですね、それは結婚した後に分かったんですが、夫は6人兄弟で、成人したら本家の養子になる約束があったということなのです。本家といっても、そんな大層な家でも何でもなく普通の家なんですよ。でも、本家が途絶えるからということで・・。私はそのころ養子とか良く分からないので「どう思う?」と言われて、「いいんじゃない、別に」とか、そんな軽い感じで言ってたんです。その後、それじゃあ養子縁組の宴会を開くということで、軽い気持ちで帰省したのですが、その時に美容院に連れていかれるは、何かすごい髪に結われるは、着物を着せられるはで、一体何が起こるのかと思ったらですね、広いお座敷に案内されて、私と夫と、あと仲人さんみたいな人がいて、親戚の人たちがずらーっと並んで、司会者までいて、まるで結婚式のようなことをやったんですね。その時はじめて「養子縁組」というのは、私が考えていたようなお気楽なものではなかったなと気がついたのです。(笑)
 けれどもその後もずっと東京で暮らしていたんですが、何かの時に「将来って結局、島根に行くのかな」なんていう話をしていたらですね、夫が「それは老後になって墓守に帰ればいいだよ」って言うんですね。私、それを聞いたときにすごく寂しくて「老後になって墓守に帰る・・ええっ!?」って思ったんです。その言葉がすごくひっかかったんですよね。
そして、盆、正月と里帰りしたある時に、桜江町の風の国という温泉宿泊施設に行ったんです。悪いくねくね道を行くと、いきなり立派な施設がバーンとあるんです。「ああ、田舎には、所々に3セクとかいうお金をたくさんかけた立派な施設があるとは聞いていたけど、これがそれなのか」という風に思いました。温泉があってテニスコートがあってホテルやバンガローがあって新しくて大きくて本当に立派なんですね。でも、あまりお客さんはいないんです。特に広島方面の方に来ていただきたいと思うんですが、そこに行くにはかなり道も悪かったですし、結局一般によく云われるように赤字経営の施設なんですよね。夫は、広報の仕事をしておりましたので「たくさんのお金を使ってこんなに立派なものができたのに、人が知らなくてもったいないね。」「せっかく浜田道があるんだから、広島からいっぱい人が来てくれるといいね。そのために、施設のPRをもっとすればいいのに。」「こんな施設のPRできるなら田舎に帰ってきてもいいよね。」なんて2人で話をしていました。
 そうしたらですね、それから東京に戻りまして半年もしないうちに、インターネットでたまたま「風の国・広報担当者募集」というのを発見したんです。私は「ひえっー!!すごい偶然」と思いました。ついこの間、夫と行っていて「でもね、田舎には広報の概念ないかもしれないから、広報担当募集なんて無いだろうね。」なんてことも言っていたんです。それが、あったんですね。それまで、私は≪老後の墓守≫というのがどうも引っかかっていたので「どうせ老後に墓守に帰るんだったら、あなたもそんなに今、大した仕事をしていないんだったら、さっさと帰って風の国の広報担当募集しているんだから入んなさいよ」と言ったんです。(笑)
私自身は、その時はフリーでいろんなプランニングとかの仕事をやっていましたから、インターネットを使えば少々離れていても、東京の仕事を続けることは可能だったんです。東京にいても、大体一日中、自分のパソコンに向かって、1週間に1回か、あるいは月に1、2回クライアントのところに行ってオリエンテーションを受けたり、プレゼンテーションをしたりとか、そんなワークスタイルだったんです。それならば「島根でパソコンに向かって、時折行くのを飛行機で行けばいいじゃん。」みたいな感じでですね、すごく気楽だったんです。と言うより、本当は「老後は墓守・・」という暗いイメージが嫌だったのと、あと高齢になって島根に行ったって友達のひとりもできないし、何より桜江町にとったってお荷物だと思ったんですね。「もっと自分たちが使えるときに帰んなきゃ」と言うことで・・・。今考えると、いろんなことがすごくタイミングが合ってですね、桜江町にポンと来てしまいました。今からちょうど4年ぐらい前のことですね。
 だから、私は「田舎暮らし願望」があった訳ではないです。ただ、好奇心だけはあったんですね。信号が1個しかない町での暮らしてってどんなんだろう、みたいな。そういうところに一度くらい身を置いてみたいな、で、嫌だったら私だけでも東京へ帰ろうかな、なんてとってもいい加減な気持ちだったんです。
そんないきさつで、桜江町に来た私が、今、ここで皆さんにこんなお話をさせてもらえるなどと4年前に一体誰が想像したでしょう・・・。それくらい、私は島根に来てからいろんなものを見つけ、また体験することができました。本日のテーマも、決しておおげさなものではなく、正直な気持ちなんです。ほんとに玉手箱みたい、開けるといろんなものがザクザク出てきて、面白くて楽しくて笑いが止まらなくて、で、気が付いたら、結果こんな感じですっかりはまっちゃったというようなところです。(笑)
 では、田舎でどんなすごい宝物を見つけたかと言いますと、ほんとそれは地元の方にとっては何でもないことだったりするんですが。たとえば、私は仕事で食品のプランニングとかしておりまして、ファミリーレストランやコンビニ、メーカーなどのいろんな企業に「今、消費者の嗜好はこうですから、こんな食品やメニューが良いですよ」という風に主に食べ物関係の企画をやっていたんですね。そのせいで、日本中のあらゆる食べ物とか、世界の食べ物とかの勉強もしますし、実際にいろんなものを食べているし、少なくともそのつもりだったんです。それが、島根に来たら、スーパーやお店には、これまで見たことも無い様な食べ物がいっぱいあるんです。私は、すごくカルチャーショックを受けました。「あれ、私は日本の食べ物をほとんど知っているつもりだったのに全然知らなかったな。」って。でもそれは、一方では、もしかすると島根が情報発信してないだけなのかななどとも思いました。
 その食べ物というのは、こちらではどうというものでもないのですが、例えば岩場に生息する「ボベ貝」。小さいミニミニアワビみたいな感じで、それを岩場からペロペロはがして、ご飯と一緒に炊いて「ボベ飯」というものをいただきました。それが磯の香りがしてとっても美味しいんですね。また、うちの父は畑で農作物を作っているんですが、ある時にトウモロコシのまだ小さいのをポコポコ採るんですよ。何だろうと思ったら、こんな小さいコーンなんですね。「これは間引いとかんと他のが大きくならんのや」と採るわけです。それは、私の感覚から言うと、中国から輸入するビン入りのヤングコーンの水漬けのようなものでこれまで「特においしいもの」とは思ってもいなかったのですが、見た目もかわいくて、茹でて食べると「世の中にこんな美味しいものがあるのか!」と思えるくらいものすごく感動しました。また、これは知らない私がバカだったんですが、タラノメというのはフキノトウみたいに地面に生えているものだと思っていたので「あんな木の上に、しかもたった1個だけあって、トゲがあって、これは高いはずだ」なんて納得したり・・あと、山の中に行くと、ただの雑草に見えるものも「これも食べられる。それは茎がおいしい。」などと地元の人が教えてくれるんです。そして、実際に食べてみると本当に美味しいし初めての味にもたくさん出会えました。そんな山野草にしても、ささやかなことばかりなのですが私には大発見、大感動だったんです。
 また、私は現在、インターネットで地域情報を発信する会社におりますが、仕事で、カヌーをやったり、パラグライダーをやったり、ダイビングをやったりしました。私が住んでいるところから、海に30分、スキー場に3、40分、川にはなんと1分みたいなところで、自然環境にはとても恵まれています。それまで、スポーツなど大嫌いだったんですが、取材でカヌーに行って泣く泣く乗ってみたら、川の中から見た景色がまた素晴らしいんですよね。カヌーをするというより、カヌーを通して川を知るというか、自然を知るという感じです。あと、うちの会社がある場所は山に囲まれていますから、夏なんか夕方になるとキャンプの匂いがするんですよ。なぜキャンプの匂いがするかと言うと、そういう匂いを私は夏休みにキャンプに行った時しか嗅いだことがないからなんです。そんな匂いが毎日するんです。だから、いつもワクワクウキウキして「毎日がリゾート」という気持ちになれるんですね。
 それから、伝統芸能もそうでした。私の住んでいるところは石見神楽が盛んなのですが、はじめて見たときに「石見神楽ってかっこいいなぁ、私も舞ってみたいな」と思いました。でも、神楽は大体が地元の人、しかも男の人のもの。私はよそ者でしかも女、すごく遠い存在なんですね。だけど、私いつか絶対舞わせてもらいたい、って思いました。そして数年後にはそれは現実になりました。
あと、桜江町の中心にあるJRの駅が無人駅だったんですが、長い間、東京暮らしをしていると、ちょっとでも空いたスペースがあればすぐに「ああもったいない、坪いくらかな」なんて思ってしまうんです。まあ、ここの坪単価は安いんでしょうが、それでもこんな町の中心地をずっと空けているんだったら、農産市とか、観光案内でもすれば良いのに・・と思ったんです。私だったら、ああしてこうしてなんて、つい思ってしまいます。たまたま役場の人と会った時に「あれもったいないですよ。ああやってこうやったら良いですよ」といったんですが、数年後にはそれも現実になり、今、私の会社は駅舎の中にあり、「桜江サロン」として観光案内や定住サロンなどもやっています。(笑)
 また、父が野菜をいっぱい作ってるんですが、そんな野菜もキュウリの季節はキュウリがいっぱい、ナスの季節はナスがいっぱい、お隣も作っていて、お隣もナスがいっぱい。ナスができた、はいお隣、はいお隣ってナスがぐるぐる回っていつか腐ってしまう。それなのに200メートルほど離れたスーパーでは、宮崎県産のナスや四国産のキュウリが売っていたりするんです。しかも高い値段で。ちょっと離れた場所ではナスが回って無駄になっていて、店では宮崎のナスがある・・・、なんてもったいないんだろうとすごく感じて「お父さんもったいないから、これ農協行って売ってもらえば良いのに」って言ったらですね。「農協に持ち込んでも長さがどうだとか、何がどうだと言われるし安いしいやだ」っていう感じなんです。それだったら、インターネットで売ればどうだろうと思いました。こんなに美味しくて新鮮な野菜なんだから、きっと欲しい人いるはずだし、私自身も東京にいるころ欲しかったし、だから売ろうよってそんな気持ちになりました。
 このように私は今住んでいる田舎で、私にとってはものすごい宝物をたくさん見つけることができました。他にももっともっと、たくさんのものがありますが、どれも、私がまったく期待すらしていなかったものなんです。
その中でも、一番の発見だったのが現在の私の仕事そのものです。私は今、インターネットで地域情報を発信している会社に勤務しています。桜江町というのは、本当に山の中で、ADSLもつい最近なったばっかりで、私が来たころなんて、町の人口は3,600人くらいなんですが、個人的なパソコンユーザーは 10人いるかいないなのでは無かったでしょうか。そんな状況でしたので、私自身こっちに来るときに、私の仕事の場は桜江町にあるはずないと思っていました。そう思うのも当たり前ですよね。例えば、私がこちらの職業安定所に行きます。自分の経験とかを生かそうと思うと、編集とか企画をしておりましたから、「編集者求む」とか、「プランナー求む」というのを探しますよね。近くの職安に行って、そんな募集があるはずないし、もちろんありませんでした。私は、自分のやってきたことを生かして仕事をしたいし、今までやってないことを仕事にしたくないので、こちらで仕事をする気はまったくなかったんですね。だから東京での仕事を続けようと思っていたんです。
そうしたら、たまたま「インターネットの会社を創るので、そこで編集できる人を探している」という話を聞きました。そこは、私が住んでいる所からわずか 300メートルも離れていない企業でした。しかも私がここで見つけたようなたくさんの宝物(地域資源)を多くの方に知ってもらうために創立されるというのです。そんな偶然から私は創業からそこにいるのですけれども、このことは、私にとってはとても驚きでした。こんな田舎にいても、私が今やっている仕事は、東京でやっていた仕事とあまり変わらないんですね。パソコンを使って情報発信したり、プランを立てたり、あるいはいろんな事務局運営をしたりと・・。場所は変わったけど前と変わらない仕事ができている、しかも自分がここでしたかったことを・・これは本当に意外でした。
 そして、私が田舎で見つけた意外なこととか、すごい宝物を自分だけで持っていてはもったいない、これをもっともっと多くの人に知ってもらいたい、新鮮な野菜が欲しい人には野菜を届けたいし、情報が欲しい人には情報を届けたい。田舎に帰ったら転職しなければいけないと思っている人がいたら、転職しなくてもいいかもしれない、そんなチャンスもあるんだよ、ということを伝えたい、そんな風に思いながら、今「月刊しまねiwamiマガジン」というインターネットマガジンを作っております。それがお手元の地域活動事例2枚目のインターネットというところに記載しています。インターネットをされる方は、ぜひ「いわみよいとこドットコム」というドメインですので、そちらの方をご覧ください。

日時: 2007年01月30日 14:53

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